イ・グスティ・ヌラ ライ将軍

イ・グスティ・ヌラ ライ将軍(I gusti ngurah rai)

 バリの英雄、イ・グスティ・ヌラ ライは、1917年1月9日バリ島のチャナンサリで生
 まれました。

 オランダ軍が進出してきた時に、彼の教育はバリ島の公立小学校で始まりました。東
 部ジャワのマランにある中学校に進学し、その中学校を卒業後、バリ島のギャニャー
 ルにある軍の士官学校に入校しました。彼はその学校を優等生として卒業し、少尉に
 昇格しました。その後すぐに、ジャワのマジェランの予備軍になるために、軍事教育
 を受けることを続けるよう要請されました。

 しかし、1946年のインドネシア独立宣言の後、TKRという防衛軍の司令部に招かれ
 ました。この動乱時期の中、ジョクジャカルタにあるTKR本部での自分の地位を捨
 てバリに戻りました。彼は、バリがすでにオランダに侵略されている事を知っていま
 した。
 TKRは大混乱し、幾つもの大きな小さな派閥に分かれてしまい、TKRは優秀な司
 令官を必要としていたのです。

 分裂してしまったTKRをもう一度一つにするために、彼は戻り懸命な努力のすえ成
 功しました。元に戻ったTKRは、以前よりもより強い士気がお互いの中に芽生え、
 素晴らしいチームワークをつくりました。TKRは、オランダ軍とのバリでの戦いに
 はゲリラ作戦を用いました。愛する国を守りたいという、愛国心のなかに戦意がより
 高まりました。しかし残念なことに、戦いが8ヶ月間を過ぎたころ、ヌラ・ライと彼
 の軍隊は物資と武器を使い果たしてしまいました。物資と特に武器を見つけるため彼
 は、自分の軍隊を数隊に分けなければなりませんでした。愛国心を持つ男たちの助け
 と共に、ウァグニン警察司令官は、タバナンにあったオランダ軍の補充部隊のための
 兵舎を、成功のうちに攻撃することができました。

 しかし、それから数日後のこと、オランダ軍はマルガ村にいたヌラ・ライと彼の軍隊
 の所在位置を突き止め、彼らを全力で攻撃しました。ヌラ・ライとその愛国者達は決
 して降伏することなく、最後の血の一滴が地上に落ちるまで戦い続けました。

 この時、既に第二次大戦で敗戦国となった日本軍の兵隊は、捕虜として捕らわれの身
 でしたが、メングイの収容所から脱走した12人の日本軍兵士も、このヌラ・ライの軍
 と一緒に戦い、全滅しました。

 マルガで起こったその戦いの日である1946年11月20日は、今ではププタン・マルガラ
 ナと呼ばれています。バリの人々は、あの日に起こった勇敢な出来事を、決して忘れ
 ないでしょう。毎年この日は祭典が行われます。
 人々は、勇壮な日に命を落とした名誉ある人を、それぞれの心に残すために毎年その
 日を祝っています。

 バリの人々はイ・グスティ・ヌラ・ライの勇敢な精神を受け継いでいるのかもしれません。