バリのおばあさん(ダドン)との出会い


ダドンはバリ語でお婆さんの事です。
●バリのおばあさん(ダドン)との出会い
トランベンの工事現場で寝泊まりするようになり、建設現場のすぐ近くに、アグン山に向かって道らしきものがあり、
ある日マウンテンバイクで単身道なき道にでかけていき、15分ほど走ると、右手に人家が見えてきました。
少し家を覗いてみようとそれでバイクを止めたところ、その家からおばあさんが手をふって
「おいで、おいで」をしているのに気づきました。
そこで遠慮なくこんにちはと言って家にいくと、そこにはおばあさんとおじいさん
そして息子さんと嫁さん、子供さんが3人もいました。
そしてそこで紅茶をご馳走になりました。
以来、時々そのおばあちゃんの家を訪ねましたが、6か月後、おじいさんが亡くなってしまいました。
その後息子さんが肺結核にかかり、療養されていましたが、とうとう亡くなりました。
亡くなるときにぜひ私に葬儀に来てほしいとの伝言があったとのことで、たまたま
トランベンに行ったときが埋葬の儀式でした。私は遺言を聞き、一緒に参列しました。
本来バリの人々は火葬に臥すのですが、まったくお金がない人々は土に埋葬して、
いつか村で合葬があるときに、掘り返して、火葬にふします。
それからが大変です。息子さんのお嫁さんは子供を連れて再婚してしまいました。
したがってその家はおばあちゃん一人になってしまいました。
おじいさんが生きていたころは小さな小屋が二つあったのですが、1軒は倒壊してしまいました。
その後、一か月ごとに尋ねたのですが、家は隙間だらけで、土でつくったおかまにボロボロの鍋が二つあるだけです。
私はスタッフと卵やインスタントラーメンやお米を時々届けました。
ぜひ村を見たいというお客様があれば、一緒に訪問しました。
いつも村人が集まってくれて、お寺の前で記念写真をとりました。
ある時、お客様がおばあちゃんの汚れた姿をみて、自分のもっている真新しいタオルを差し上げたところ、
おばあちゃんは、[私はこんなに汚れているから、もったいない、]
もっと若い人に差し上げてください。と言われ、感銘しました。
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2017年10月21日アグン山の噴火により、お婆さんは強制的に避難させられ、
やはり環境が変わった為か、お婆さんはとうとう亡くなってしまいました。
ダドンの死に対してお悔み申し上げますとともに、謹んでご冥福をお祈りします。。
1993年以来、私はトランベンに行くたびにダドンの家に立ち寄りました。
下記の写真を見てお分かりの通り、何もありません。
水や、卵、お米、スーパーミ、衣類をもっていきました。里親様も一緒になって協力をいただきました。
私がバリに居ない時も、Dewa Ayu, Gede Budita kun が届けてくれました。
もう15年以上続けていました。時々私達は、おばあちゃんが作った赤豆をいただきました。
ホテルに持ち帰り、キッチンのスタッフが作ってくれると、美味しいデザートになりました。
継続している内に、私は本当に生きる勇気をいただきました。
どうか天国で、ご主人や息子さんと会って平和に暮らせますよう。
私にとっては、ダドンは実のおばあさんのように思えました。
おばあちゃん、また逢う日まで、、、